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イエスのなさったことを見よ

イエスさまが大好きだから宣教師になって神に仕えたいと、ワリーに話した少年がいました。彼はワリーの友人の息子で、当時8歳でした。それから十数年、ワリーは少年の成長を祈りつつ見守りました。そして、彼がアフリカのマリ共和国で活動する宣教団体に加わることになると、次のように言いました。「君が宣教師になりたいと話してくれたとき、君のためにと思って信託銀行に貯金をして、この良い知らせをずっと待っていたんだよ。」ワリーは人の必要に敏感で、福音伝道に熱心でした。

開いた手

ビディ・メイソンは1891年、墓標のない墓に埋葬されました。奴隷だった人にはよくあることですが、彼女ほど成功した人なら別のはずです。ビディは1856年、裁判で自由を勝ち取ると、看護技術と事業努力で一財産を築きました。その後、移民や受刑者の窮状を知り慈善活動に乗り出したので、人々は助けを求めて彼女の家の前に列をなしたといいます。そして、自由人となって16年後の1872年、ビディと娘婿は、私財を投じてロサンゼルスに第一アフリカン・メソジスト監督教会を設立しました。

手放しましょう

多くの慈善団体は、十分持っている人たちから、いらなくなった衣服や家庭用品を寄付してもらいます。使わなくなった物が誰かの役に立つのなら、譲ることは良いことです。一方で、私たちは自分にとって価値あるものを手放すことはしたがりません。

与えることの恵み

イエスが「やもめの家を食いつぶし」(マコ12:40)とおっしゃったように、エルサレムの宗教界は腐敗しきっていました。そんな中、夫を失った貧しい女性が、わずかに残った財産をすべて献金箱に入れるなど、理にかなった行為とは言えません。しかしイエスは、この女性の行為に感動されました。お金に関する正しい考え方が、その行為に現れていたからです(41-44節)。

差し出す

ずいぶん前のことになりますが、ある若者に車を貸してもらえないかと頼まれたことがあります。初めはためらいました。自分たちの車だし、それがないと困ります。けれども、すぐに貸すべきだと確信しました。他の人を助けるように、神が望んでおられたからです。それで、車の鍵をわたすと、彼は40キロ離れた教会まで運転していって、そこで中高生向けの伝道集会を開きました。その集会は祝福され、10代の若い人たちが救われました。

神の御子イエスは弟子たちに、「それをほどいて、引いて来なさい」と、他人のロバを連れてくるように言われました(マコ11:2)。もしも何か言われたら、「主がお入用なのです」と言うように指示されました。そうすれば、それを連れて行けることになっていたのです。そのロバは、私たちが「しゅろの日曜日」と呼ぶ日、キリストをエルサレムに運ぶために使われました。

ここに目を留めるべき教訓があります。私たちにはそれぞれ、大切にしているものがあります。それを手放すことなど絶対にあり得ないと思うものもあるでしょう。それは、新しい車とかお気に入りのコートといった持ち物かもしれませんし、たまの休日や自由な時間かもしれません。それが何であったとしても、あなたは誰の目から見てもそれを必要としている人のために、自ら進んで差し出せますか。

もし、聖霊が促されていると気づいたなら、ロバの持ち主がそうしたように、あなたの持ち物や時間を手放しましょう。そうすれば、神の栄光がふさわしく現われるでしょう。

大盤振る舞い

小さな教会の牧師だったときのことです。私たちの教会は、大きな困難に直面しました。教会堂が安全基準に満たなくなって、高額の改修工事を行わない限り、そこで礼拝できなくなると当局に通知されたのです。必死に献金を募ったおかげで改修工事の費用は工面できましたが、ある人の献金について気になった役員がいました。

その人は高齢の女性の教会員でした。この工事のために数百ドルを寄付したのですが、彼女にはそのような余裕のないことを私たちは知っていました。それで私たちは、「お気持ちには感謝しますが、ご自分の生活も大切にしてください」と言って返金しようとしました。彼女の生活は教会の状況以上に大変だと思ったのです。ところが、彼女はお金を受け取りません。それは、台所の調理用コンロを買いたいと思って何年もかけて貯めたお金でした。今はまだ鉄板の上で料理をしているのだそうです。そして、教会の家族と共に礼拝する場所は、自分にとって、台所のコンロ以上に重要だと主張しました。私たちは、彼女の大盤振る舞いな献金にびっくりしてしまいました。

イエスはやもめが宮の献金箱に二枚の銅貨(最小価値の硬貨)を投げ入れるのをご覧になり、このやもめを褒められました(ルカ21:3-4)。それは献金が高額だったからではなく、彼女が所持金すべてをささげたからです。こういう献金が、神に栄光を帰すささげ物ですが、それだけでなく、私たちがいただいた大きな贈り物、すなわちキリストを思い出させてくれるささげ物です。

気前の良い助け

町の図書館でいつも時間をつぶしているホームレスの男性がいます。ある日、その図書館で書き物をしていて、お昼になりました。それで、ターキーとチーズをはさんだサンドイッチを食べ出したのですが、少し食べたところで、その人の顔が思い浮かびました。それで、その人のところに行って口をつけていないサンドイッチを差し出すと、受け取って食べてくれました。

誕生日のささげもの

1年で聖書を!
◆ 創世記23-26
聖書のみことば Ⅰ歴代誌29:1-14
 
神は喜んで与える人を愛してくださいます。―Ⅱコリント9:7

もうすぐあなたの39歳の誕生日よと言うと、プレゼントはいらないと夫は言います。またまたそんなことを言って…と思い、しつこく何が欲しいかと聞いたところ、誕生日に使おうとしているお金を寄付したいと言いました。

匿名の贈り物

1年で聖書を!
◆ 詩篇57-59
◆ ローマ4
聖書のみことば マタイ6:1-4

あなたは、施しをするとき、右の手のしていることを左の手に知られないようにしなさい。―マタイ6:3

人に何かをしてあげたとき、その人が気づいてくれるなら、嬉しいと思います。礼状や「ありがとう」の言葉に感謝するのは、私だけではないでしょう。しかし、匿名の親切が良いことにも異論はありません。イエスがそう言われているからです。